お金で何とでもなるという幻想を実現しようとする価値観。
これはもの悲しい。

さて、お金で買えないものたちは数多あると思う。
そもそも買うという行為自体に疑問を持たないといけない。
買うのに必要なものは何か?
それは今の時代ではお金。
お金と引き換えに物品を購買する。
手に入れるために必要なものは何か?
これは、いつの時代も同じではない。
命を懸けて手に入れる名声が誉れだった時代もある。
これはお金で手に入れられるものではない。

形のあるものを手に入れる際にはお金で買える場合が多い。
逆に、目に見えないもの、形のないもの、心に響くものはそうではない。
その意味で、ものを見る価値観に大きく左右されるのだと思う。
形のないもの、例えば、信頼関係すらお金で手に入れられると思う様な価値観があるとすれば、本質的なものとはほど遠いものを手に入れていると思う。

この様に換金出来るものとして扱われることで、その稀有なありがたみや、特別な想いが持つ不可侵性を穢される様に思えて寂しい。
まずお金ありきでなくていい。
資産価値のないものの方が、当人にとって大事だと思い続けたい。
価値判断は当人の対象への想いの強さで決まっていい。

具体的にお金で買えないものたちを挙げるのは蛇足の様な気がする。
今生きているここに至るまでの全記憶はもちろん買えない。
今に至るまでに選ばずに来た人生の選択肢は買えない。
嬉しかった事、辛かったことをその時感じたままで持てる技術は買えない。
興味を持った人と親しくなりたいと思う気持ちはお金で買えて欲しくない。
これらの事を改めて書き集めておかなければならない。
この事がそのまま、意識が資産価値先行なのだという裏付けかもしれない。

「物より思い出」
CMのコピー。
この部分はいい。
「買える物は〇〇で」
この部分はいらない。
大事なのは思い出と言いながら、結局購買を促す。

安価な物を買って、それに愛着を持って長く使う。
そこに日々の関わりと思い出が積み重なっていく。
高いものがいいのではなくて、自分が気に入ったものがいいものだと思う。

お金で買えないもの。
それはお金そのものの持つ意味かもしれない。