独り言小劇場

答えの出ない事柄を徒然に不定期に書き留めてみる場所。

生と死

死刑制度あれとこれと。

制度自体に賛成反対を議論するのは大切だと思う。
刑の確定を以って被告人は死刑囚となり命と不可分の罪を負う。
その罪を処罰し、刑の執行を以って命が消える。
それと同時に重大犯罪者だった人は死刑囚として存在が消される。
これら一連の事実は重大だと思う。
現実的には、死刑制度を存続させても執行制度を変えなければ意味がない。
刑が確定してもなお、死刑囚として生存させておく大臣がいる。
法務大臣は行政のトップなのであって、執行命令権者である。
大臣自らが執行するわけではない。
しかし、刑事訴訟法に定めがあり、法務大臣の命令なしに執行されない。
法規定に厳格であるならば、判決確定から6月以内に執行せねばならない。
そこで問題なのが「特別な理由がない限り」という点。
判例によっても6月以内の執行は努力目標とされている。
あわせて書いておくと、執行命令から5日以内の執行は法規定がある。

死刑制度よりむしろ執行制度の骨抜きな状態を是正しなければ仕方がない。
この状況下にあって「制度は抑止力である」と、言ってはいられない。
強制的に死に至らしめないのであれば、終身刑に変えるべきだろう。
つまるところ生か死かの問題なのだ。
生かしていていい存在か否か。
注意が必要なのは、これは社会を構成する国民にとっての問題である。
国家からするとそこに問題はない。
犯罪者であっても社会に復帰し再びその一員となる更生を想定している。
法の下に平等である。

遺族感情に配慮して死刑と言うのはだから的外れである。
遺族がどう思おうと、国家の構成員として犯罪者も大事なのだ。
大事だからこそ更生して善く生きさせようとする。
ここが大事なのだと強く思う。
罪を犯して捕まり、そこで何もなく社会復帰ではない。
罰を受けて更生しているものと「みなして」復帰させる。
実際的には儀礼的に映るかもしれないが、ともかく仕組みに沿っている。
法によって定め、定められた仕組みに沿って進められればいいのである。
法とは建前である。
本音で進めようとすると立ち行かなくなるからこそ「法」で形式化する。
まさに、システマティックであり、実を取らない。

ところが、制度として築き上げられたものは所詮客体と言うべきか。
使う主体としての人がその効力に不信を抱けば使えない。
そこで、解釈を変えたりする必要が出てくる。
その表れが裁判員制度なのだろう。
職業裁判官はこれまで述べたような「法側」の人間である。
それでは適用される側の気持ちにはなじまない。
そこで、適用されることしか念頭になかった人間を参加させる。
このことにより一応は均衡感を取り込んだ制度ができた。
それでいいのである。
裁判員の意思が反映されるか否かは問題ではない。
制度を築き上げる途中であっても殺人事件は絶えないのだ。
適用する制度を早く築かなければ裁けない。

制度を築く上でも倫理観が希薄に感じる。
そこに関わる専門家の倫理観も必ずしも尊いものではない。
検察官が証拠をねつ造するならば、冤罪は免れず、無実で刑に服する。
裁判官が法側から大衆側へ下りなければ納得できない。
制度を築き仇討を昇華したかに見えても、その実はないのだから。

根本的な問題として、罪は死によって償われるのか。
逆に、終身隔離は償いになるのか。
どちらにしても被害者が亡くなり、戻ってこない以上解決にならない。
そして、これらのことは被害者遺族にならない限り切実な問題ではない。
裁判員となって裁く権限を与えられる道理ではないはずである。
だが、法の下に平等なので裁かれる可能性とともに裁く可能性もあるのだ。

このような賛否両論出る議論に正解はない。
安心して暮らせなくても(制度があっても安心できないが)いいなら話は別。
罪を制度化しなければ刑もない。
考えてみればおかしな話だと思う。
例えば、ツアーでアフリカに行く。
野生動物に襲われて命を落とす。
あり得ない話ではなく不思議はない。
旅行会社に落ち度がなかったかの話にはなるだろう。
野生動物の処罰について言及されない。
通勤・通学途中、意味不明な言動の暴漢に襲われ命を落とす。
犯罪者の処罰をどうするべきか云々。
何によって命を落とさせられたかが重要なのだ。

刑法第百九十九条  人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
殺人の罪は、人を殺した者と人であることを構成要件にしている。
罪は人にのみ与えられている。
このことから、いつから人か。いつまで人か。どこまで人か。が議論される。
始期終期範囲。
これもまたおかしな話で、人形の人でなしがいることを認めている。
にもかかわらず、人らしさは明確に示されない。
どこまでも制度であり建前である。

まとめとして、死刑制度に賛成か反対かを議論する必要のない平穏がいい。

被爆国新時代。

66度目の終戦の日。
全国戦没者追悼式で310万人余の戦没者慰霊が行われた。
戦没者の方々に深い哀悼を捧げます。

毎年のことと軽く流せない1日。
一昨年も昨年も終戦の日に記事を書いた。
昨年は記憶の風化に主題を置いた。
それから1年の月日が流れ何か皮肉な物を感じる。
他害ではなく、謂わば、自害の様相で戦中にあるのかもしれない。
首相は先の平和記念式典と本日の戦没者追悼式で原子力政策に言及。
原子力に依存しない社会づくりを明言した。
原爆の恐ろしさを知りながら原発に依拠してきた日本。
単回威力の被害と継続動力の希望。
負を正に昇華することで戦災復興したのかもしれなかった。
少なくとも効率的で将来性を見込まれて導入されたはずだった。
経済産業省に原子力安全・保安院が置かれていることからも窺える。
安全性を重視した運用を図るのなら文部科学省下が適切だと思える。
経済的なエネルギー政策としてまさに原子力が動力だった。
そのことを気づかせたのが事故だった。
事故が起こるまで監督官庁がどこでもかまわなかった。
事実、気に留めたことはなかった。

原子力の功罪。
素人考えでは、いかに制御するや否やの違いだけに思える。
原爆は莫大なエネルギーを得るため臨界を制御せず超臨界に導く。
超臨界に至れば制御不能であり爆発的にエネルギー放出が起こる。
言うなれば、後先考えずに威力を発揮する。
原発は臨界を制御し持続することでエネルギーを動力として用いる。
言うなれば、後先を考えて威力を発揮する。
作為無作為の違いが大きな違いを生む1つの例だろう。
ともあれどちらも運用までは高い技術力が必要である。
その技術力を持ちえた場合に対外的な効果をも合わせ持つ。
制御する技術力があれば制御しない技術は容易である。
つまり、原爆の有るや無しやは少しの時間で変わり得る。

原爆と原発の違いを思うと不思議になる。
原爆爆発後の経年での原爆症があることを知っている。
原発事故での放射能の影響が報道される。
様々な風評被害と言われているが風評なのだろうか?
過去を以って今に照らし合わせて妥当な判断ではないのか。
根拠のない噂由来の被害が風評被害である。
原発事故において最悪の事態が宣言されている。
これをして安全なのだと判断する方が警戒感が薄過ぎて危険。
危険が前提で、流通している物品を見る。
流通して問題ない物が流通するシステムを信じるしかない。
逆説的に安全な物が流通していると思えば被害が出ない。
疑心暗鬼の根本は情報公開が遅かった政府の対応というのは容易い。
しかしながら、少し落ち着けば気づきそうに思う。
反対に提供する側も少し落ち着けば気づきそうなことがある。
飛散範囲が示されて、なおも野ざらしにしておいていいかどうか。
指示がなかったので責任皆無というのはどうだろう。

ところで、無念とはなんだろう?
今年の首相の式辞を聞いていて疑問に思った。
戦禍に散った戦没者の方々の無念を云々。
何故か気になった。
戦没者の無念は「何に」向けられているのか。
志半ばで戦禍に散った多くの人々がいた。
これらの人々はその志を遂げられなかった無念であろう。
動員された人々であると考えればいいかもしれない。
この動員は国家総動員法に由来する。
途を曲げられ軍需を満たすため駆り出された国民の無念。
では、軍人はどうであったのか。
政治と軍事の区別が曖昧であった時代。
大東亜を見た軍人の無念は別であったのではないか。
それとても同じ日本人の見た構想である。
総員を同一に動員は出来なかった。
国が1つになることの難しさ。
この点からも政治家は指導者であり、導き(構想)がいかに大多数の民衆に正確に伝わらないかが垣間見えるように思う。

政治と国民との関係を見て思うこと。
意見が活かされなければ意見は意見ではない。
これは、意見を持つことを許されない以上に困難である。
思想を持たないのとは違う。
思想を持たなくとも意見は言える。
そんな庶民の意見は時として本質を射抜く。
しかし、効力を持たないならば意味がない。
聞く耳を持たない政治では意見の吸い上げが出来ない。
政治に耳を貸さない庶民では効力を発揮出来ない。
欲しい物が届かず、今欲しくない物が届くのでは期待できない。
後々必要な物よりも時勢に合うものが必要なことが多い。
備蓄品が必要なのは頭ではわかる。
けれども、消耗品も同程度以上に必要なのだ。
そこには生活がある。
政治でしか成し得ない備蓄品に関する事柄がある。
政治でしか成し得ない消耗品に関する事柄がある。
国民が望むのは、どちらも滞りなく進めてくれること。
優先順位などない。
どちらも進められる様に代議士を選挙で選ぶ。
これらの議論がなされないのであれば政治などいらない。
現政権与党は「国民の生活が第一」を掲げていたはず。
生活を見ていないから反発が大きいのではないか。
戦災と震災が重なって見える今年は特に思う。

最大の中の何か。

2011年3月11日。午後2時46分。
歴史に残る瞬間。
直接被災した人達にとって体験上最大の地震だったろう。
速報を見た人達にとってはまだ、大きな地震との認識だったろう。

発生から一週間が過ぎた。
被災国の国民として情報を共有する多くの人達がいる。
それを喜ぶべきかどうかについて知らない。
国内史上最大M9.0の地震。
それに伴って発生した大津波。
大津波の影響を受けての原発事故。
戦後最悪の自然災害。
これは死者・行方不明者の数による。
死者数が阪神大震災を上回りまだまだ増える見通し。
地震被害や津波被害の危険性は下がっているようだ。
最も関心を集めているのは原子力の見えない脅威。

避難者と言っても様々。
地震被害によって住居のない人もいる。
津波被害によって町区画ごとない人もいる。
原発事故によってわけもわからず避難する人もいる。
負ったものが違っても、大震災被災者に違いはない。
現状、逃げ続けなければならない人。
戻ることが叶わないから居続けなければならない人。

終息が見えないことはおそろしいことだろうか?
大震災によってこの問いに多くの人が頷くだろう。
しかし、「では、何故笑えるのか?」と、問えば困惑する人は多い。
生きていることそれ自体おそろしいことなのではないのか。
きっと日常では、同系列ではなく認識外にあるのだろう。
死を意識する前に生を意識していない。
生きていることに疑問を抱かずに生きていられた。
ところがそれを崩された。
死が近しい出来事と言うより、むしろ、生きていることが不思議。
何故、死なずに生き、生活していられたのだろう。

ライフラインなるものの喪失。
率直に生命線。
一番に思い浮かんだのは食べ物や水。
ところが、報道にせよ話題にせよどうも違う。
個の生存に関わる事より先に特定の設備を指す言葉になっている。
このことが、人間は果たして自活しているのかとの疑問を抱かせる。
人間が人間として自活すること。
生物であるところを離れずに生きていることへの疑問。
あらゆる手段を駆使してあたかも「機器操作=人間生活」の様。
手の延長としての機器。
足の延長としての輸送。
頭の延長としての通信。
電気が遮断され、通信が途絶え、水道が空回り、交通が麻痺する。
その時感じた言い知れない不安感は何だろう。
逸早く求めたものが食べ物より先に情報なのは何を示すのだろう。
やっと得た情報に翻弄され食べ物を得られない人達はなんだろう。
これらを責めることは出来ない。笑うことも決して出来ない。
なぜなら、同じことをするだろうから。

最大の惨事の中から飛び出したのは何か。
絶望的な状況の中から見えてきたものは何か。
大きく見れば危機管理の難しさかもしれない。
人の知識のはるか上、想像以上の自然の力。
それだけにとどまらない。
小さな個としての人存在のあり方。
実体と言うより、実感のない日常生活の連続。
通常が奪われてむき出しになった生の生々しさ。
非常時だからこそ見えてくる生と死の違い。
その前に問い直すべき実感のある生活・人間の自活。

最大限の可能性に文字通り命懸けで取り組む人達がいる。
30Kmの避難が求められる中、現場から50mで働く人達がいる。
その人達の命が日本国中の不安を取り除こうと燃えている。
しかし、その人達の事を何も知らない。
名前も顔も知らない。
任務を遂行する本当の気持ちも知らない。
それでも、いや、だからこそ、感謝できるのかもしれない。
誰かがしなければいけないことをしてくれている。
したくないことでもしなければいけないことがある。
それを「状況」と呼んで畏れるのかもしれない。
人や自然がではなく、状況が許さないことで無慈悲が黙認される。
状況に立ち向かう人達に最大の敬意を込め「ありがとう」を送る。

寝る仮死状態が養生。

肉体疲労時の栄養補給にはドリンク剤がある。
不足した栄養の補給と共に主としてカフェインの作用により士気を高める。
素早く疲労感を解消してもう一踏ん張り。
この様な頑張る日々を送る人達に心からお疲れ様。

肉体疲労時の栄養補給はドリンク剤が販売されていて効果がある。
けれども、精神疲労時の栄養補給に関しては聞かない。
そもそも精神疲労に効く栄養とはなんだろうか?
その栄養は補給することが出来るのだろうか?
これらの疑問について考えてみる。

肉体疲労の場合、乳酸などの老廃物が蓄積され疲労を感じる。
精神疲労の場合、意識外で緊張状態を持続する気疲れ等が疲労となる。
こんなに簡単ではないだろうと思う。
特に、精神疲労を感じる場合は原因に気付かないことが多そう。

コツコツと積み上げてきた仕事にダメ出しをされて気落ちするのも1つ。
大勢の人の前で自分の意見を言わなければならないことも1つ。
初めて会う人と滞りなく当たり障りなく会話をして場を作るのも1つ。
例として上記した様な項目を苦手意識として予め知っていること。
それ自体がともすれば精神疲労の原因になりかねない。
不安や嫌悪感を抱く対象から出来るだけ距離を取りたい。
これは自然な防御法なのだと思う。
現実逃避は一時その事を忘れさせてくれる。
その間に限っては疲労感からも不安感からも免れる。
この事柄にヒントがある様に思える。
精神疲労時の栄養。
したくない、考えたくない事柄と距離をとる逃げ場で得る安息。
逃げ場も無い切羽詰まった状態で取り組むのは考えるだに疲労が大きい。

逃げ場で得るものがすぐさま栄養になるのかを考える。
たぶん、後々の栄養になるかもしれないという程度だろう。
むしろ、「補給」よりも「排出」が重要に思える。
ここまであえて使わなかった言葉だけれど、ストレスが原因なのだろうから。
上手にストレスを発散することで「排出」が出来て気楽に成り得る。
逆説的に、その術を身につける為に知識を得るのは「補給」かもしれない。

補給と排出のバランスも大事なのだと思えてきた。
これは肉体疲労時でも精神疲労時でも同じこと。
そして、それを最も上手に行ってくれるのが寝るという行動だと思い至る。
脳を含めて全機能を低下させる。
このことから仮死状態とも言われる。
使わないことは疲労を蓄積させないし考えないから疲労感を抱かない。
ほとんど生きていない状態を経て、生気を養うのだから凄い。
安息が訪れるのは生を謳歌する時より死に近しい時というのも興味深い。

肉体的な適度の疲れと精神的な適度の疲れがある時眠りやすい。
どちらも過度に蓄積されると、寝ることが困難になる。
これは何故だろう?
安息である仮死を拒絶し生に留まらせるのは、寝る方が危険なのか。
とはいえ、不眠が数日続くと不調を明確に自覚する。
バランスの崩れを危機だと認識している時に死に近い行動を避ける。
ぼんやりとイメージできても、それでは本当の危機を避けられない。
生きるために死に近づきたいけれど、死にそうなので生きている。
なんという矛盾。

まとめとして、バランス良く栄養を補給すること。
栄養は物質であるとは限らず、即効性があるとも限らない。
バランスの取れた「生活」を送ることで寝るという養生が栄養に成り得る。
だから、寝る時には「おやすみ」と、言うのかな?と、思う。

現代政治の死生観。

ある人は二度死ぬ。
端的に表現するとこうなる。
改正臓器移植法が可決・成立した。
この様な事態を容認する政治の流れなのかもしれない。
「どこ」を見て政治をしているのかが見えにくい時代だと感じる。


平成九年に議員立法により成立した臓器移植法。
3年毎の経過修正が盛り込まれたにもかかわらず、今まで運用されてきた。
12年このシステムを運用し、結果、脳死下での臓器提供は81例。
多いと感じるか、少ないと感じるか。
人それぞれだろう。
もっとも、この脳死という概念自体への考え方も人それぞれであったはず。
それが、一律に「脳死は人の死」と規定された。

法により規定された死は不可逆。
やっぱり死んでないことにしましょう。
この主張の意味するところは「生き返り」であり、生命を含む財産の秩序を乱す事となるので有り得ない主張である。
人は生き、そして、死ぬ。
その間に経過した時間も、それに伴って得た経済上の財産も、死を迎えた時点からその人のものではなくなる。
これを基にして財産の継承が起こり経済活動の秩序が保たれている。

臓器移植。
この技術が正しい医療行為であるか否かはわからない。
ただ、必要とする人がいる事実。
そして、それに応える医療技術がある事実は無視できない。
救える命を救わないのかとの考え方もあるだろう。
救うために奪う命があってもいいのかとの考えもあるだろう。
どちらにも理があり、どちらにもその背後に強い想いがある。

ヒトらしさと医療技術。で書いたこと。
あの願いは何だったのだろうと思う。
願えども叶わず。

臓器提供を受け経過良好である人はいい。
素晴らしい。
自分の悪性変異した細胞のある臓器を切除して生きる人は多くいる。
これは失っての生き方。
それに対し、取り出して入れ替えて生きる人も少ないながらもいる。
これは±0の生き方。
結果だけをみれば。
難しいことではない様に思える。
取らなければ助からなかったのを取って助かったのと、取り替えなければ助からなかったのを取り替えて助かったのとの違い。


12年。
長い月日だと思う。
当時、ヒト胚を使っての再生医療技術が注目を浴びていた。
近年、本人の細胞からの再生医療技術が注目を集めた。
確実に進んでいる。
だからこそ、何故「人の死」を決定してしまったのかと思う。
12年の間に提供を受けられずに亡くなった方があったろうと思う。
それは、一縷の望みがありながら果たせず、無念だったかもしれない。

多くの善意により高額な医療費を工面し、海外で移植に臨んだ方もあった。
ところが、世界保健機関(WHO)からの臓器移植を国内のみに制限する方針が示されたことで道が閉ざされる可能性が高まった。
その対応として、「出来る枠組みを広く」の一点から改正臓器移植法成立。


冒頭に帰る。
脳死の人は2度死ぬ。
殊に、今回の改正によって範囲が拡大された年少者にその可能性が高い。
幼児は脳機能の回復が著しく医師の判断が適切に行えるかどうか未知数だという。
脳死判定で一度。
提供可能な臓器を提供すれば自身の生命を維持できず、器質死に至る。

何かがおかしいと感じる。
議論を重ね弾力的に運用できるシステムでもいいはずと訴えた議員がいた。
柳田邦男さんは臓器移植法改正案を審議する参院厚生労働委員会で参考人として発言。脳死状態を経て亡くなった次男の腎臓を移植のために提供し、「犠牲(サクリファイス) ― わが息子・脳死の11日」の著作がある。
経験者の言葉は重い。
はずだったがしかし、国会ではあっさりと「脳死は人の死」に決まった。

政治をする人は政治のプロなのだろう。
1つ1つの事案のプロではない。
それはわかっている。
けれども、最も重要なのは政治のプロは政治のプロになる事が目的なのではなくて、政治のプロとして国と国民の事を考える国民の代表者である事を失念しないで欲しい。

老い追い。

6月10日は時の記念日。
東京天文台と生活改善同盟会が1920(大正9)年に、「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と制定。

これまで23本時間カテゴリに記事を書いてきたけれど、時の記念日について書いた事はなかった。
今回は少しだけ触れて本題に移ろうと思う。
時間を守ることで生活改善と合理化を図ることが結びついている。
これはなかなかに興味深い。

時間によって1日を区切られない頃を想像する。
活動するのに適した太陽の明るさになって狩りをする。
それはきっと、太陽が昇り切った頃ではなく、薄暗い頃。
まだ夜明け前。
動物たちが起き出す前、あるいは、夜行性の動物が眠りについた頃。
食べるための行動。
生きるための行動。

夜はきっと現代よりも遥かに早く訪れただろう。
もちろん火を使う技術があったはずで、暗くなってすぐ寝たとは思わない。
そうではなく、むしろ、道具の手入れや食事をするために火を用い、夜更かしのための明かりではなかったのではないかと思う。
稲作が始まり定住生活に入ってすべき事柄が増えた頃から、少しずつ少しずつ夜を侵略していったのかもしれない。
それでもなお、1日をその日のうちに終わらせていたのではないかと思う。

これは、規則的な生活と合理的な生活ではなかったのか。
24時間を細切れにして管理する現代社会よりは、リズムが負担にならない。
「時間を守らなければいけない」という基準があることで時間に支配されている。
もちろん、マイナス面ばかりではない。
全世界を時間軸によって画一的に管理できる。
今、この瞬間も世界標準時を基準として世界が回っている。


さて、本題。
時間は万人に等しく24時間で1日ということになっている。
1日を終えることで1日分老いていく。
ところが、終了時刻に定めがない。
その意味で時間は平等に万人に与えられているわけではない。
突発的な事故に巻き込まれて落とした命を考える。
それ以後、本来続いていたであろう時間は失われた。
本当だろうか?
無論、突発的事故で失われてしまった命は理由があって失われたなんて事はあり得ない事だと思う。
それに伴って来るべき時間も失われてしまったと考えるのは、命は時の経過を伴ってあるものだと考えられていることを表している。
しかし、少し待って欲しい。
命を落としてしまえば、その人は終わりなのだろうか。
「人生」という言葉に当てはめると、それ以後の行動が起こり得ないので結果も生じず終わっているかもしれない。
けれど、そこまで生きていたことは消え去らない。
創作をする人だったら、それまでに生み出した作品が残り続け、「その人」の名は語り継がれ、「その人」が残り続ける。

老いを考える。
生まれてすぐ還暦な人というのはいない。
誰もが老いていった先輩達の後を追いかけていく。
年若くして命を落とした先輩を追い抜いてしまうこともある。
子供の頃、年をとる事は成長だった。
成人してからも生涯成長なのだと思うけれど、素直にそうとも言い切れない。
老衰の現実がある。
長年使い続ける肉体には無理が蓄積される。
若々しい年配の方もいるけれど、若々しく見えるだけで年齢は重ねている。
溌剌としていても、若かりし頃と同じ様に機敏な動きをするのは厳しい。

ちょうどいい時というのは一体いつなのか。
輝かしい実績がある。沢山の協力者もいる。知恵と言えるほどの知識もある。
しかし、率先して先頭に立ち引っ張るだけの肉体的余裕はない。
取り返しのつかなさが老いかもしれない。
逆でもいい。
無茶を可能にする行動力がある。有り余ると思っている時間がある。
しかし、経験と財力と信頼とがまだまだ不十分。
可能性の塊というのが若さかもしれない。
年配と年少の間。
その時期にちょうど良さがあるのかもしれない。
それとて可能性の1つ。

例えば、年季の入ったものの良さは歳月でしか生み出せない。
これは、人として生きていてもそうかもしれない。
長生きであることはそれだけで素晴らしい。
そこに含蓄があればなおさら素晴らしい。
若くして才能を開花させるのは素晴らしい。
それを認め伸ばそうとする環境はとても素晴らしい。

いつか終わるのは同じ。
いつ終わるのかわからないのも同じ。
ならば、いつかを先延ばしにできる様に気をつけたい。
そして、何をしてきて終わりを迎えるかにも気をつけたい。

1日が24時間で終わるのは万人に等しい。
自分が自分としてその1日をどう生きるのかは自分でしか決められない。
どうやって過ごした1日だったか。
それを振り返って評価するのも自分でしかできない。
何かを残せば、気づいた人が評価をしてくれる。
それが自分の想うとおりでなくてもそれは仕方がない。
主観と客観は違うのだから。

老い追い。
生きて行くことは先人を追いかけその功績を乗り越え、次の世代・追いかけてくる人達に何かを残していく事かも知れない。

裁きを下す人々。

昨日に引き続いて裁判員制度の記事を書く。
連日書くのは久々。
1本にまとめるにはあまりに思いが多すぎたので2本に分けることに。
条文を示す等して制度の骨格部分に対して疑問を投げかけた。
いわば総論の様なものだと捉えていただくといいかもしれない。
今回は各論となる。

さて、裁かれるものを受けて、今回は「裁きを下す人々」がテーマ。
法がそのまま裁きを下すことをしてはくれないので、運用するのは人である。
人と言っても個々の思想・信条等によって画一化された存在ではない。
この思想・信条が重要な意味を持つのではないかと思う。

裁判員となることができない人々については昨日の記事を参照していだだくとして、そこに含まれる方が妥当ではないかと思う人々に焦点を当てる。
具体的には、宗教家や医療従事者や消防関係者。
死生観がその思想・信条上、職務遂行上救済を目的としている人々。
いずれも本来は生命(精神)を重要視し積極的に救出するような立場にある。
これらの人々が、被告人を死刑相当であると意見するのは並大抵のことではないだろうと想像する。


法とは、規範であり生活を支えるものだと考えている。
これは一般的に用いられる憲法を頂点とする法律体系のこと。
この場合の法は思想によらない。
根拠は政教分離を謳っている憲法を頂点としているから。

これに対し、例えば、仏教徒であればその宗派毎の教義を仏法とし、その悟りの境地を目指したり、その真理を探究したりする思想や信条に基づいた判断をする。
無用な殺生を戒める教えを敬虔に守る人々にとって、過ちを犯した人ー法治国家の刑法の規定によって死刑となる可能性のある行為を犯した人ーに対して信仰上の判断により、死刑を選択することはほぼ不可能なのではないだろうか。

他の例も考えられる。
医師や看護師等の医療従事者。
被告人として裁かれる人を治療した人も裁判員辞退事由にも不適格事由にも規定されていないので、裁判員として意見を述べるために出廷することになる。
医療倫理の原点と言われる「ヒポクラテスの誓い」は、今現在にも通用するものであり、そこには以下の様な記述がある。

私は私の能力と判断をつくして患者のためになるよう養生法を施し、害となるものを決して与えません。(中略)誰の家を訪問するのももっぱら患者のために門をくぐり、故意の悪意による過ちを決して犯さず、とりわけ相手が自由人でも奴隷でも、女性でも男性でも、決して性愛の対象としません。

この記述は、公平公正に誰に対しても医療行為を行い、患者の不利益になることをせず、利益になることを実施することを表していると考えられている。
この考えに沿って医療に従事する人が、重大な罪を犯した人だからという理由によって死を与えることとなる選択が果たして可能なのだろうか。

さらに消防関係者の例も上記に一部重複する。
火事の一報を受け現場に駆け付け消火活動に当たる消防士が、原因は放火によるものだったと知らされる。そこで要救助者として救助した人が亡くなったとの知らせも合わせて受けていたとする。
この複雑な思いを法廷で語れるだろうか。
目の前に救助した人の命を奪った人がいる状況下で。


職種によって裁判員となれない人を規定していながら、具体例として示した3種の職種の人々の葛藤を考慮に入れているのだろうかという強い疑問がある。
もちろん、これらの職業に括ることなく、多くの一般国民が葛藤を抱くはず。
法律の知識を程々に持っている人は参加する。
事前に争点整理手続きが行われている裁判で、その担当することとなった裁判の本質的な争点はそこではないのでは?と、思うこともあるかもしれない。
逆に、全くの無知識で法廷に出向き裁判官からの説明を受けながら評議を進めるとされていても、意見を言えるのか。
感情論が優勢ということになれば、意見の集約は相当の困難を招きそうに思う。
人の命を奪った人が生きていて、被害者の奪われてしまった命はもう戻ることはない。
これは不公平ではないのですか?との純粋な疑問にどう答えるべきなのか。


国民が司法を身近に感じ、考える様になることを期待し、それを目的とする裁判員制度は、国民の事を考えてくれる様に期待する他にはない状態のままスタートを切った。

命について考える八月。

8月はとにもかくにも終戦記念日のある月。
これは外せない。
1年の内、他の月にも平和について考える月があるだろうか?
断言はできないけれど、活動家でないならあまり多いことではないだろう。

戦争体験について話し始める年配の方が増えてきた。
だが、遅すぎた様に思う。
それがしかし責められるべきことではないのは当然。思い出したくもない経験であることに疑いの余地はない。…とも一概に言えないように見受けられる話もある。
立場(戦時の階級や所属等)によって戦争の捉え方も微妙に異なる。

指揮を執った士官の話の場合、戦場での部隊の戦果・状況を克明に記憶している。
個よりも集団を優先的に考え行動することを求められていた立場だから。
自身の判断に数名の命がかかっている。軍人としての自分と人間としての自分との葛藤により重点があるように感じる。
一方、指揮の下がむしゃらに突撃することを求められた兵卒の方は、今生き残るか散るべきかの葛藤であり、生き延びればそれは運が良かったとなるのかもしれない。

当時の軍国主義にいかほどまで染まっていたのか、どの程度時勢を見渡せる位置にいたのかによって大きく戦争への関わり方も異なっていたのだろうなと想像する。


最近では戦争に抱く世代間格差が如実に表れているのかもしれない。
つまり、基本的には他人事。スリリングで非現実的な出来事になっている。
湾岸戦争当時、その中継を見て「ゲームみたい」と言った若者。
「なんか映画みたいでかっこいい」との意見もあった。
率直な感想だと思う。
情報化が進んだことで刺激的な映像に慣れ親しんでしまった事を要因の1つに挙げることができるだろうが、それだけではないはず。

つい先日の報道でも、意識の希薄さが目立った。
「戦争する国になったら滅べばいい」との意見もあり、また「戦争してるより平和な方がいいから、戦争はないほうがいい」という答えになっていない返答も聞かれた。


自衛隊は「軍隊」である。
自衛官が上官のいじめにより所属する艦船で自殺したことに対する慰謝料等を求める訴訟の控訴審判決が出た。
国に2000万円の慰謝料などを求めた訴訟に対し判決は350万円。
「命対金」で解決する問題ではないけれど、法廷に持ち込んだ場合命に値段が付く。
21歳の将来ある若者の失われた命が350万円。
これが法律の世界。

主題はそこではなくて、「自衛官が上官からいじめを受け遺族が提訴」の部分。
日本に徴兵制度はない。
この亡くなった自衛官は志願して自衛隊に所属した。
自衛隊という呼称をつけた軍隊に入隊したのだから、当然ながら他の職業より精神的・肉体的リスクは大きい。
上意下達の組織であるのはわかりきったことで、民間企業と同様に仕事をこなすというわけにはいかない。
映画『フルメタル・ジャケット』は軍隊の本質を描いた映画だと思っている。
国の為に命をかけ誇りを持って任務を遂行する意志を持った者が自衛官。
そういう特殊な自覚が必要な職業ではなかろうか。
キレイな戦争などあり得ないのだから。

公務員を選択した場合、「どの国の人間であるのか」が重要な意識だと常々考える。
国民の安心・安全・生命・生活を守る仕事には、他にも、警察や消防等がある。
これらと自衛隊の決定的な違いは、人を殺す可能性の高さにある。

自衛隊は稼げるから入隊する。
ミリタリー物が好きだから入隊する。
動機としてこれらが悪いことだとは言えない。
実際戦時になった時、戦うのは自衛官なのだから。
それでもなお、現職者の意識の中に「まず大丈夫だろう」が見えてしまう。
平和を守る第一線の人達も平和に慣れている。
常に軍事的緊張を強いられることが必要と言いたいのではない。
明確な抑止力と心構え(モチベーションの維持)が充分といえるだろうか?と言いたいのだ。

「自衛隊が行くところが非戦闘地域だ」と、時の首相が発現し海外派遣された自衛隊員達のインタビュー時の表情はこわばっていた。
比較的安全な地域と言われていたものの襲撃を受けた。
実績としては死者を出すことなく任務を完了し、給油活動を継続するに留めている。


自衛隊の活動を目の当たりにする機会が少ないのは非常にいいこと。
災害派遣で被災地の方の為に、炊き出し、復旧作業、慰労のための仮設浴場設営、被災者の捜索等の様子が報道される。
ところが、事態が長期化すると他のニュースに追いやられる。
国民のあまり表に出てこないけれど必要不可欠な力で支えられているのだとの意識と、自衛隊の表に出にくいながらもそのことが最も評価されるべき平和の根拠なのだという逆説的な合致。


かように長々と書いてきたことの結びとして考え方の根底にある次の文章を示す。


君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。
きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。
御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい。
(吉田茂 昭和32年2月 防衛大学第1回卒業式にて)

正しさの不確実性。

まず最初に、事件・事故、災害等の不可抗的な事柄によって命を落とされた方々に深い哀悼の意を表させていただきたい。


さて、早速本題。
善い犯罪は存在し得るか?
刑法の大前提への挑戦の様な提起である。
刑法上犯罪とは「構成要件に該当する違法にして、有責なる行為」である。
構成要件に該当する。
違法性がある。
有責性がある。
この3点をすべて揃えて犯罪となることを最初に抑えておかなければならない。

個別に見ていく。以下、条文は法令データ提供システムより引用。
構成要件に該当するとは、条文に示された「罪となる行為」に当てはまる行為であること。「罪となる行為」は刑法の原則である「罪刑法定主義」に則っている。
噛み砕けば、「罪と刑罰とは法によって定められること」である。
例)刑法第百九十九条
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
この場合、「人を殺した」が構成要件に該当する行為となる。


違法にしてとは、刑法を支えている道義ないしは倫理に反すること。
第七章 犯罪の不成立及び刑の減免
第三十六条(正当防衛)
急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
2  防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

第三十七条(緊急避難)
自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
2  前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。

36条、37条で示される事は、構成要件に該当するものの、違法性阻却(違法でないとすること)事由に当てはまり犯罪とならない。

刑法第三十五条(正当行為)
法令又は正当な業務による行為は、罰しない。

具体的には、医師による開腹手術等はメスによって身体を切られているので傷害罪の構成要件に該当するが、これが罪になるのであれば現代医療は成り立たなくなる。
これは、正当業務行為と呼ばれるもので、社会的相当行為は構成要件該当性すら持ち合わせないとされる特別なケースである。


有責であることは、刑法の原則である「責任主義」に則っている。
「責任主義」を噛み砕けば、行為者に対する責任非難ができない場合には、刑罰を科すべきではないとする原則である。また、責任能力が重要となる。
責任能力とは、事物の是非・善悪を判断することが出来、かつそれに従って行動する能力のことである。
第三十八条(故意)
罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
2  重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。
3  法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。

第三十九条(心神喪失及び心神耗弱)
心神喪失者の行為は、罰しない。
2  心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

第四十一条
十四歳に満たない者の行為は、罰しない。

上から、いわゆる動機があること、責任能力(善悪の判断がつき、それに従って行動することができること)である。


これらのことを知っていただろうか?
法学部で学んだので知っているという場合でないと把握が困難ではないかと思う。
しかし、知らなかったとしても罪を犯す意思がなかったとはならないと38条の3で明記されている。
知ることは非常に重要な行動だと言えるのではないだろうか。

現状の法システムに問題点が多いとは常々思っている。
主に2点。
死刑論と責任主義の限界。

死刑執行命令が現法務大臣下において続発されている。
先に述べた通り、罪刑法定主義の原則に則り定められた刑罰なので執行されることに異論はない。
第九条(刑の種類)
死刑、懲役、禁錮、罰金、拘留及び科料を主刑とし、没収を付加刑とする。

死刑廃止論では、死刑の代替刑に終身刑が挙げられる。
これは仮釈放のない、生涯に渡り服役する刑のことを指している様だが、現行の無期懲役も満期の定めのない懲役なのであり終身刑となり得る。
なぜなら、懲役刑は12条によって有期の場合は20年以下と規定している。
このことから、終身刑が挙げられるのは、仮釈放を許さない終身刑を創設することを意味しているのだと解釈できる。

果たしてそれで解決するのだろうか?
元々は復讐・報復として仇討があった。
それが被害者遺族の抱く「犯人が憎くて仕方がない。殺してしまいたい」との感情の自己解決手段だった。それでは憎悪による殺人の連鎖が止まらないので、国が仇討を引き受けた。
これこそ現代法治国家の法による抑止効果の表れと見ることができる。
犯人が再犯しないようにする抑止効果。
犯人と同じことをしては、自分も同じになるとする一般(被害者・遺族含む)への抑止効果。

確かに抑止力としての死刑の存在が薄れて来ていると感じる事件も起こっている。
「死刑になりたかった」と述べ、無差別に児童を殺害し死刑が執行された死刑囚がいた。この事件は法システムを利用した自殺ではないのか?と思った。
身勝手、無差別、短絡的に人を死に至らしめようとする事件が増えている。

無期懲役ではなく極刑である死刑を選択した裁判官が次の様に述べることがある。
「動機は身勝手で非情。行為は残忍で被害者の苦痛、恐怖、絶望感は計り知れない。反省の弁や態度が見られないこと等から更生の余地並びに情状の余地はない。よって極刑を以て臨むしかない」
要するに、通常は更生を目的とした服役により社会復帰に期待するのが法システムなのだが、それでは国民感情が治まらない。
同時に、収監されている人物を収監しておくためには税金がかかる。
残虐非道な行為をした人物を生涯に渡って税金で社会から隔離しておくことでいいのか?という経費の点からの指摘もできるだろう。
もちろん金銭の問題ではない。
とは言え、勤労の結果が凶悪な人物を終身刑に服させるために使うことに十分な納得を得ることできるのかどうかに疑問がある。
極端な言い方をすれば、「自分に関係のないことに使われている」との考えを完全に否定することができるかということである。

もう1点の責任能力の限界。
責任無能力者には心神喪失者と刑事未成年者がある。
病には刑罰ではなく治療を。として、心神喪失者等医療観察法が制定された。
だが、果たして機能しているだろうか。
ニュースになる重大事件では、精神鑑定の言葉をよく耳にする。
最近、1つの連続した犯行において途中から心神喪失を認定した判決が出た。
それと別に、検察・弁護両者から提出された鑑定書で心神喪失とされたが採用されず、刑罰が言い渡された判決もあった。
医学的な専門的な見地からの鑑定書も1つの証拠として心証形成の道具に過ぎない。
最も根源的な問題として、悪いことを悪いことと知った上で行った行為が罪に問われる恐ろしさ。
正気で人を殺そうとして殺していなければ殺人罪にならない。
淡々と何の恐れも感じずに残虐な行為を行い、それを詳細に述べられることの方が、物事の善悪の判断がついていないのでは?と思うのは不自然なことなのだろうか…。
この様に見ると、罪を規定したから罪が生まれたのか、元々持っていた衝動を罪と規定したのかとの無限回廊に突入する。

刑事未成年者は、先に示した条文中にある通り14歳未満である。
14歳であれば事の善悪を判別し、それに従って行動できると示している。それまでの間に、法に基づいた善悪を教育される機会がどれ程あるのか。
そもそも、国民のどれ程が法について体系的な成り立ちを把握しているのか。


人を裁くという仕事を目指して生き、その職業に就いた職業裁判官でさえも自身の感情をコントロールできずに犯罪行為に及んでしまう。
裁判官独自の良心(裁量)によって加害者の人生も大きく変わる。
事件の真実を語らずに死刑に処せられ、起こった事件で失われた生命と事件が起こってしまったという事実だけが残るだけの積み重ねでは、法の抑止力は損なわれても仕方がないのではいかと思う。

最悪の事件にも最善の対処を。
相容れない事の様に思われる。
正しさの不確実性故に、改良の余地があるのかもしれない。

あれからもう5年。

一両日中、一週間、半月、一月、三カ月、半年、一年、三年、五年…。
カウントアップ式に示される目安としての時間の指標。
これには、それと反比例する様に率が下がる数字も伴って示される事が多い。

病名告知と共に告げられる余命告知。

体調がすぐれないとの連絡を聞いたのは1月中旬頃。
遠く離れた場所にいて、都合がつかず戻れずやきもきしたままに過ごしていた。
そして、5年前の2月1日。
「緊急入院した。手術が必要だが、腸閉塞だからそんなに心配いらない」と、連絡を受けた。

計り知れない衝撃だった。
この連絡をくれたのは、更に2年前、交通事故に巻き込まれ重度障害者となり、車いす生活を余儀なくされた父である。
緊急入院から緊急手術を受けることとなったのは母である。

最初に感じたのは、本当に腸閉塞だけなのだろうか?という疑念。
言葉にならない違和感を覚えた。
それから襲いかかって来たのはまたなのかという想いと、どうしてうちの家族にこんなにも次々と。という、理不尽な不条理さへの何とも言えない想いだった。

やっと都合がつき連絡から数日後に病院へ向かった。
母は想像以上に元気そうに見え、ホッとした。
その時の安堵感も、2度目の安堵感だった。


時系列が複雑になるが父のことも書いておく。

父の事故の時も実家から離れた所にいた。
2001年11年22日のことである。
母の切羽詰まった声で「お父さんが事故にあった。しっかりしてるように見えるけど大変なことになった」と、いう連絡を受け急ぎ実家に戻る経験をしていた。

脊髄損傷による胸下肢不随。
多数の肋骨骨折により肺に血が溜まっているため血を体内から排出。
同時進行で輸血の処置をしていると母から説明を受け、ICUにいる父に母と共に会った。
意識ははっきりしていたが事故の記憶は飛んでいた。
まだ自分がどういう状況なのかを認識していない様子だった。
しかし、生きていてくれたというだけでホッとした。
これが1度目の安堵感。
体験しなくていいのなら、人生において1度も体験したくない安堵感である。

脊髄損傷の処置はその病院では不可能とのことで転院した先もICU。
新たに精密検査をした結果、脊髄の破断をつなぎ止めるために合金を背中に埋め込みボルト締めするという凄まじい手術の説明を医師から受けた。
背中に軽くて丈夫で何百年と経年劣化しないボルトが12本と板が入っている。
手術は無事成功したが、母と共に半日近くかかった大手術の終了を固唾を飲んで待ち続けていた。

父の入院生活に母は献身的に付き添いつつ、交通事故被害者の家族として、警察、検察から事情をきかれ、保険の手続きなども同時に進めなければならなかった。目が回るほどの忙しさのおかげで、事故の事実に悲しみに暮れている暇もないほどだった。
現実感や実感はほとんどなく、淡々としなければならないことをこなすのが日常になっていた。

しかし、父にとっては、自分の身に起こった事実に向き合わなければならないのが日常だった。
仕事人間な父。
鎮痛のための大量のモルヒネにより夢現な状態にある時、気持ちだけは仕事に出かけ指示を出していた。
ところが、実際には車いすでしか生活できない体になってしまった。

現実を徐々に受け入れ(た様に見える頃になって)、リハビリが必要ということでリハビリ施設の充実した病院へ転院しリハビリの毎日。
その間、自宅はバリアフリーに大改造。
車いすの操縦技術の習得や、日常生活をこなすのに必要な筋力を身につけて退院し、自宅へと戻った。

長い休暇で実家に戻っていた時に父が言った一言が大きく心に刺さっている。
「脊損患者の平均寿命って、50ちょっとなんだってな…」


話を戻して母の方である。
病院に母を見舞い、元気そうな顔を見て安堵し父と実家へ戻ったその日、父が声を震わせ言葉に詰まりつつ、涙を流して母の病状を説明してくれた。
「お母さんな。直腸がんなんだって。もうだいぶ進んでて腸が破れちゃったんだって。あと半年もつかどうかわからない。もっと短いかもしれないって先生は言ってた。お母さん死んじゃうのかな?」
投げかけられた疑問に何とも返すことができなかった。
二人で泣いた。

ひとしきり泣いて話せるようになったところで言った言葉がある。
「腸閉塞って言ってたけど、気になってがんのこと調べてきてた。そんな予感はしてたから。それで、IV期が末期だって。それだともう転移の可能性も高いってことだった。でも、腸が破けちゃうなんていうのは書いてなかったから、何期にあたるのかもわからない。先生もどうなるのかわからないって言ってるし…」
後は言葉が続かなかった。


その母が今日を元気に生きている。
もちろん健康体ではない。
いつどうなるのかわからない。
しかし、いつどうなるかわからないというのも、死に直面したり、余命告知を受けて「死」を常に意識するようになった人間と、日々を無事平穏に送り感覚として「死」がまだ近くにない人間との違いに過ぎない。
いずれは誰にでも等しく死は訪れるし、どういう形で日常が転覆するかは誰にも予測できないのだから。

母は今日に至るまでに数回手術を重ねている。
要定期検査の日々を送っている中、PETという検査装置のおかげで早期に転移がんを見つけることも経験した。

余命告知で想定された日をだいぶ過ぎた日に、ふとしたことから余命について父と話した時のことを母に伝えた。
その時に母が言った「入院した時にはもう痛みもなかったし、ボーッとする、ふらふらするってだけだったんだけど、手術の時、今日手術しないと死んじゃうかもしれないんだから!って言った先生がいた」という言葉が忘れられない。

これに応えて言った言葉がある。
「その、死んじゃうかもしれないんだから!って言われた日を乗り越えた時点から、もう医者の予測の上を行ってる。余命半年って言われた日も過ぎてる。大丈夫なんだよ。元気に長生きできるよ。その日がいつなのかわからないのは、皆と同じだよね」

楽観的過ぎるかもしれない。
他人事な言葉かもしれない。
そう思っていた時期もあったが今は違う。
明確にわからないことの方がきっと多いのだ。

がん患者にとって節目となる日を何度も乗り越え、統計上の生存率で最長の五年生存率という大きな節目の日を無事に迎えた母。
平均寿命50余歳という脊髄損傷患者の年齢を超えて健在の父。

これからも互いに助け合いながら穏やかな日々を送れることを切に願いながら、特別な日としての今日を終え、また明日からの生活に戻ろうと思っている。

参考:がんの統計 - がん研究振興財団
参考:脊髄損傷 - Wikipedia
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