わからないことがあまりにも数多くある。
この頃は、恥ずかしさを覚える以上に申し訳なく感じる程。
こんなだからなのだろうと納得させたことがある。
学士入試の失敗である。
結果が出たのは1月以上前。
2000字の小論文と面接試験だった。

小論文の設問は「リスク社会と科学技術の関係」について考えを述べよ。
正直、真剣に考えたことのないテーマだった。
リスク社会を定義することから始めて、1900字程度で書いた。
論理的に記述できたとは思うもののいい内容かどうかは不明。
尤も、小論文の出来栄えに関わらず面接で不合格となったのは確かだろう。

面接では真っ先に志望動機を問われた。
(ちなみに、福祉系大学の臨床心理専攻コースを受験)
学問したい旨を伝えたが反応は薄かった。
面接が進むにつれ残念な気持ちでいっぱいになっていった。

以下、Qが面接官Aを私の発言とする。
Q.年齢が高いけれども就職はどう考えていますか?
A.専門を活かした職場を希望します。病院でも施設でも。

Q.法学部卒なので単位認定が厳しい。2年で卒業は難しい。どうしますか?
A.もちろん2年で終わるように取り組みます。

Q.終わらない場合を訊いてます。3年かかったらどうしますか?
A.どうしてもそうならざるを得ないなら仕方がないです。でも、終わるように取り組みます。

Q.2年で終わらないと困ることでも?
A.できるだけ年限で終わらせたいと思うものだと思いますが…。別段の理由はないです。

Q.覚悟を持たないとだめです。3年かかった時と2年で終わらせる覚悟と。
とにかく卒業まで3年。年齢がさらに高くなる。就職は非常に厳しい。どうしますか?
A.はい。あの、すいません。大学は就職するためにあるのでしょうか?

Q.大学で勉強だけして後のことは考えていないと?
A.学問分野に興味を持って学びたいから受験するのではいけませんか?

Q.こちらも受け入れるからには責任がある。後の事を考えてもらわないと困る。
A.そうですか。ですが、学んで身に付けたものを活かす考えなのに現時点でわかるでしょうか?

Q.計画性をもった行動をとることも社会人として必要な事だよ。お勤めしていらっしゃいますね?
A.はい。縁あって仕事させていただいてます。

Q.今のご時世でね、縁あって仕事できてるならそちらを大事になさい。
A.え〜と、つまり、学びたい思いは受け入れられないということですか?

Q.そうは言っていません。そうそう、志願書に声が出なくなっと書いてある。どういうことです?
A.志望動機の1つです。心と体のつながりを考えさせられました。学びたいテーマでもあります。

Q.具体的には…?
A.腹に据えかねる事があって大声で反論しました。3日程全然寝られず声が出なくなっていました。

Q.ふむ。それで?
A.病院に通うようになってそれが4年くらいですか。段々と声が出るようになっていました。

Q.ふむ。それがきっかけで勉強したいと。
A.はい。それだけではないですが、強い動機にはなっています。

Q.なるほど。もしですよ、これから先、また声が出なくなったらどうしますか?
A.え?いや、どうしますかと言われても…。なんとも言えないです。

Q.色々支障があるでしょう?
A.そうですね…。そうならないようにこれまでの事を考えたり、専門知識を学びたいのですが…。

Q.そうですか。はい、結構です。
A.ありがとうございました…。

印象に残っていて忘れられない部分はこんなやりとり。
これは一体何だったんだろう?
試験日当日から今でも解決できずにいる思い。
ともあれ、大学が欲する人材でなかったのだと納得はしている。

歳はとるもんじゃないなとか、大学はもはや学問の場ではないのだなとか。
思ったことは多い。
そして、それらが全部寂しい思いにつながっている。
その結果として、1つの決意と1つの反骨精神の綯い交ぜを抱いている。
同じ大学の通信教育部で志望する学問をしよう。
あてつけの様だが学びたい気持ちに嘘はないし、面接官だった教授の講義に興味がある。
通信なら毎週顔を合わせるわけではない。
お互いにさほど嫌でもないだろう。

おしまいにこれは明記しておかなければならないだろう。
合否通知書にはこう書いてあった。
今回、遺憾ながら意に沿う結果をお伝えできませんでした。
この文面と後期学士入試の日程とが印刷されたB5用紙1枚。
これが学士入試のすべてだった。

通知書を見た時思わず呟いた言葉は忘れないだろう。
「もう一度受験して面接受けたら何か変わるんか?」