題名通りである確証はない。
と、同時に反証も容易ではないはず。

文と認識することがそもそもの間違いかもしれない。
文と認識した時点から意味を読み取ろうとする。
そこに意味がなくても、あるいは、意図がなくても。
記されたモノはそれがそれとしてだけあるのではない。
きっとソコに記された目的を伴っていると思いこんでいる。
そうでなければ道具としての用を足さないとでも言うように。

さて、突拍子もないことでも書くだけなら書けるがテーマ。
題名に書いた短文でなくてもいい。
昨日食べた時計、明日はきっともっとずっと元気。
これでもいい。
意味などあるはずもない。
けれど、少し何か思わせぶりな感じを受ける。
単に言葉遊びで捉えて構わない。
むしろ、それ以上もそれ以下もない。
遊び道具として文字を使ってもいいだろう。
想像力を鍛えるイメージトレーニング・トレーニング。
想像する時にイメージする文脈は文字を追っている。
こう「だから」こう。と、頭の中で動かしている。

題名に戻る。
意味など考えずに書いた。
でも、後付けならば大きく膨らませそうな気がする。
ちょっと気に入っている。
永遠はたぶん7日に収まる位。
そのことを本に書くとしたら10日はかかりそう。
永遠に書きあがらない本が「出来た」。
見ることも触ることも出来ないし、無論、読むことも出来ない。
果たして、この本は「出来た」のだろうか?
理屈で出来てもできなければ出来ていないのか。
理屈で出来ないことがわかればそれは出来ない結果が出来たのか。

永遠を分解してみるのもいい。
永く遠く。
永くは時間軸。遠くは空間軸。
ここに何かしらの違和感を覚える。
永遠は「たどり着かない」を表していると思っている。
ところが、永く遠くだと着きそうに思えてくる。
永い時間遠くまで行くとそこに永遠があった。
これはきっと永遠ではない。
だから、題名に使った。

終りのある永遠について書く。
たぶん7日くらいで収まるだろう。
根拠は曜日である。
日から始まって土で終わるカレンダー。
これは終わっているけど終わらない。
そして、これからも相当永い間7日周期の永遠を刻む。
この時の流れに乗って物事が動く。
その様々を本に納めるのには10日はかかるだろう。
根拠は曖昧にながらある。
1つには、時間。
少なくとも1日の出来事を書くのに2日いる。
1日が終らなければ1日の事を書けないのだから。
それだけなら8日でいい気もする。
ところが日記ではなく本であり見栄えも重要。
2つめは、作業。
装本に装丁、検査もある。
1日装本、2〜8日記述、9日装丁、10日検査。
こんなところだろう。
ここでのポイントは装丁や検査について記載できないこと。
厳密に1日1工程でなくてもいい。
目安の話として。

大体今回の作品の目的はここまでで達成された。
ここまでの作業を思考とは思わない。
ことば遊びでいいと思う。
端々に思考的断片があればいいとは思う。
矛盾や逆説で成り立っているものを楽しむ。
それをどう見つけ出すか。
どう楽しむか。
今回のヒントは歌の中にあった。
きっともっとずっと楽しいヒントが身近にあるだろうと思う。