2010年01月09日

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無尽蔵を辞書で引く。
いくらとっても無くならないこと。限りないさま。
用例として「アイディアは無尽蔵にある」と示される。
これは興味深い。

尽きる事の無い蔵で無尽蔵。
蔵は貯蔵の蔵だろうか?それとも保管庫だろうか?
どちらにせよ、家財や商品等を守るために建てられる。
有るものが無くならない様にするのが目的。
蔵が建つのは大金持ちになるたとえとして用いられる。
この段階で少し違和感を覚える。
アイディアとお金と尽きる尽きないが同一線上で交差するのだろうか?

たしかに、知的所有権も財産に違いない。
用語が一般に広がる前から知恵を出し富を得る構図はあったのだと思う。
そういう手法でもって三越の前身である越後屋の様な成功があったのだろう。
アイディアが富につながり蔵が建つ。
蔵が建った後に出し続けるアイディアは果たして無尽蔵なのか?
経営に対して何か不満や訴えがあるわけではない。
老舗の代表として例に挙げたに過ぎない。

「アイディアは無尽蔵にある」
この言葉はある意味において幻想だと思う。
なぜならば、蔵を引き合いに出した瞬間から限界が決められているから。
蔵いっぱいに満たされる事はあっても溢れ出す事はない。
尽き無いのは減りはするものの補充されるが故に枯渇しないのかも。
「いくらとっても無くならない」は、上級の言葉の綾だと思えてくる。
実情が逼迫しているとしても、具体的には0よりほんのわずかでも残っているものが有れば無くなってはいないのだから。

上に述べた考えを逆手に取る。
アイディアが無尽蔵にあるのは当然とも言える。
経営云々を抜きにして、生きる事を考える場合に用いる時。
アイディアは、着想や思いつき。
情報が溢れ、それらの情報に接する手段も機会も多い現代において、知的な刺激を受けずに過ごす事が難しくなっている様に感じる。
情報(知的刺激)に接する事が多いにもかかわらず、そこから何1つ吸収せずにいられるとは思えない。
目から、耳から、鼻から、口から、肌から、とにかく五感を通して入った情報は意図せずとも蓄積されるのではないか。
それが似ている違った場面に表出すれば、それは思いつきと言えるだろう。
経過という熟成期間を経て表出するのがアイディアだと考えるなら。

では、どう捉えればいいのか?
無尽蔵のキャパシティを想えばいいのだろうと思う。
端的に言えば、蔵の大きさ。
満たし続ける必要はない。
尽きないようにすればいい。
小さい蔵から大きい蔵に建て増す事だって出来るのだから。
常に満杯を目指していると思わぬところで破綻の予兆を見逃しがち。

「心がけ」を0より少しでも残っている部分にたとえれば、無尽蔵と言えるのでは?と、気にかけてみるアイディアの提示。

(20:28)

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