真っ先にこの流れから想像するのは?
学校の答案用紙に記入される採点の種類あたりだと思う。
そうだとすれば、それを踏まえて話を進めるのが適当。

×は不正解を表すのに使われる。
設問に対してかすってもいません。とか、空欄の場合につけられる。
△は不足を表すのに使われる。
正解にするための要素が少し足りていないけれど、不正解ではない。
〇は正解。
申し分ありませんよ。と、勢いよく〇が記されていると嬉しくなる。

まず、×を△にするにはどうしたら?
手っ取り早いのは覚える事。
試験範囲のノートを何度も眺める。
これで空欄は無くなるかもしれない。
と言うのも、「たしかそれっぽいのを見た…」程度に記憶に残るから。
それがたとえ正解でなくても、空欄という点数になる可能性がない事態からの脱却は図れる。
これが何より大きい。
誤字だったり、漢字で書けなかったりの場合、△になるかもしれない。
そんな風に可能性を広げて行けばいいんじゃないかと思う。

次に、△を〇にするには?
これは難しい。
何故難しいのか?
自信満々に解答しても間違う可能性があるから。
意気込みとしては、◎を取るつもりでないと〇にならない。
うっかりミスを排除する程入念に問題に取り組む。
余裕がなければできない事だと感じる。
満点が凄いのは記憶力が凄いのではなくて、しっかり見直しをしてミスをきちんと排除できた事が凄いのだと思う。

ところで、採点方法だけに使える流れではないなと気付いた。
例えば、点を誕生に例えてみる。
点が線になることで人生になる。
その直線をこれら3つの図形に当てはめる。
×は交差している。
△は1点から2方向へ向かい、対向する直線を見据える。
〇は連環となる。

人との関わりを持つ×。
それは、一度きりの関わりでも1点で人生が交差する。
ジャンケンの様に相互的な関係を描く△。
特性2つの延長線上の秘めた関係性として、第3の道が相互補完的に機能するかもしれない。
始まってしまえば終わりへと向かう〇。
どこが始まりだったのか、どこで終わるのかわからない。

そして、×の密度が高ければ高いほど〇はきれいに描ける。
実際に〇をコンパスを使わずに定規だけで描いてみるとわかる。
線を沢山沢山交差させる。
様々な人の人生と自分の人生が交ざり、自分を形作る。
見習うところもあり、反面教師にするところもあり。
その中で自分の持つ特性を多方向に発揮して△の数を増やしていく。
人生だって勉強だって似たようなところがある。
だから、人生是日々勉強って言うんだなぁ。なんてしみじみ感じる。