2009年08月15日
8月15日。終戦記念日。
今年64回目の終戦記念日を迎えた。
戦没者の方々に深い哀悼を捧げます。
64年。
この年数は特別な意味を持つと思う。
昭和という時代は64年目を迎えて間もなく平成へと移った。
その月日の分、1時代分戦後として経過した。
戦争体験者が語り出すのが遅かったのではないかと去年書いた。
このことは、今思うと非常に身勝手で、そして、浅はかだったと反省する。
戦時中16歳の方で今年80歳。
それより若かった方は、記憶がぼんやりしているかもしれない。
あるいは、語り出すことが出来ない悲惨さがあるのかもしれない。
記憶は風化する。
当時の品々を受け継ぎ伝えて行くことも容易ではない。
それにもまして、その品々にまつわる出来事を伝える事は容易ではない。
物がそこに付与される記憶を伴わなくなった時、受ける印象は薄くなる。
逆にそのことが、語り継がれる事の重要性も示していると思う。
「ならば体験あるのみ」で語られてはいけない。
これを忘れてしまうことが何よりも恐ろしい事だと考える。
「戦争をしなければならない」状況を作り出す必要はない。
国権でその選択肢を選ばなければいけない政治はいらない。
何故か?
命が1発の弾丸で奪われる程度の重みになることを再び望まないから。
ましてや、1発の爆弾で何十万と失われるなんて…。
それだけではなく、国の為、家族の為に特攻する生命爆弾の哀しさ。
戦わなければならなかった時代。
守らなければならない物が大にも小にもあった時代。
その時代すべてを否定することは出来ない。
しかし、これから先訪れないことをのみ強く願う。
戦争をしなければ成り立たない世界はどこか歪んでいる。
常に闘争を求める必要はないはず。
価値観の相違を解消することはほぼ不可能だと思う。
だが、そのことを闘争の引き金にする必要性はどこにあるのか。
無論、利権が絡んでいたりする水面下の事情があることもわかってきた。
だからこそ、その利権の為に命がないがしろにされることに疑問を抱く。
現在の日本に生きているから戦争に巻き込まれない気がしている。
ところが、生まれた場所がイラクだったらこうしてはいられない。
アメリカに生まれたのであってもそれは変わらない。
未だに両国民が命を落とし続けている。
正しい戦争はないと言い切りたい。
戦時国際法という、宣戦布告のない軍事衝突時であってもあらゆる軍事組織に適用される義務を明文化したものがある。
これを順守していればいいというわけではない。
戦争にはそもそも「本当の正義はない」と考えるから。
武力を行使せずに問題解決ができる政治力をつけることが正義。
その政治をする為の(実行する意志の有る)人を選ぶ国民力も必要不可欠。
道のりは遠い。
しかし、平和憲法を有する国の国民として終戦記念日に思う。
今年64回目の終戦記念日を迎えた。
戦没者の方々に深い哀悼を捧げます。
64年。
この年数は特別な意味を持つと思う。
昭和という時代は64年目を迎えて間もなく平成へと移った。
その月日の分、1時代分戦後として経過した。
戦争体験者が語り出すのが遅かったのではないかと去年書いた。
このことは、今思うと非常に身勝手で、そして、浅はかだったと反省する。
戦時中16歳の方で今年80歳。
それより若かった方は、記憶がぼんやりしているかもしれない。
あるいは、語り出すことが出来ない悲惨さがあるのかもしれない。
記憶は風化する。
当時の品々を受け継ぎ伝えて行くことも容易ではない。
それにもまして、その品々にまつわる出来事を伝える事は容易ではない。
物がそこに付与される記憶を伴わなくなった時、受ける印象は薄くなる。
逆にそのことが、語り継がれる事の重要性も示していると思う。
「ならば体験あるのみ」で語られてはいけない。
これを忘れてしまうことが何よりも恐ろしい事だと考える。
「戦争をしなければならない」状況を作り出す必要はない。
国権でその選択肢を選ばなければいけない政治はいらない。
何故か?
命が1発の弾丸で奪われる程度の重みになることを再び望まないから。
ましてや、1発の爆弾で何十万と失われるなんて…。
それだけではなく、国の為、家族の為に特攻する生命爆弾の哀しさ。
戦わなければならなかった時代。
守らなければならない物が大にも小にもあった時代。
その時代すべてを否定することは出来ない。
しかし、これから先訪れないことをのみ強く願う。
戦争をしなければ成り立たない世界はどこか歪んでいる。
常に闘争を求める必要はないはず。
価値観の相違を解消することはほぼ不可能だと思う。
だが、そのことを闘争の引き金にする必要性はどこにあるのか。
無論、利権が絡んでいたりする水面下の事情があることもわかってきた。
だからこそ、その利権の為に命がないがしろにされることに疑問を抱く。
現在の日本に生きているから戦争に巻き込まれない気がしている。
ところが、生まれた場所がイラクだったらこうしてはいられない。
アメリカに生まれたのであってもそれは変わらない。
未だに両国民が命を落とし続けている。
正しい戦争はないと言い切りたい。
戦時国際法という、宣戦布告のない軍事衝突時であってもあらゆる軍事組織に適用される義務を明文化したものがある。
これを順守していればいいというわけではない。
戦争にはそもそも「本当の正義はない」と考えるから。
武力を行使せずに問題解決ができる政治力をつけることが正義。
その政治をする為の(実行する意志の有る)人を選ぶ国民力も必要不可欠。
道のりは遠い。
しかし、平和憲法を有する国の国民として終戦記念日に思う。
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