2009年07月04日

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困り事や悩みの種というのは、とにかく多く存在している。
捉え方、考え方、受け流し方を身につけて解決するのは大事なこと。
大事なことではある。
それはわかっている。十二分に。
けれど、それがなかなか出来ないから困る。
悩みの種が、まさにこの「どうすれば…」である場合を考えてみたい。


例えば、受け答え1つとっても難しい。
「ごめんなさいね」
「いいえ」
「ありがとね〜」
「いいえ」

何てことのない日常の謝罪と謝礼。
文字で書くと特に抑揚の無さから情景を描きにくい。
文字通り言い切って返事を返された時、わだかまりが残る。
ごめんなさいをいいえと言われたのだから、まだ許してもらえていないのか…。
ありがとうをいいえと言われたのだから、余計なことだったのだろうか…。
語気によって受ける印象が左右される。
その人との関係性、自身の心等はとても微妙なバランスで保たれている。


「ごめんなさいね」
「いいえ〜。(どういたしまして〜)」
「ありがとね〜」
「いいえ〜。(こちらこそどうも〜)」

語尾を伸ばして発声すると、緩やかな印象を与える。
これが結果的に気にしないでいいよを伝えているのかもしれない。

言葉の伝え方に意識を置いているか。
あるいはまた、その結果相手がどう受け取るか。
そこにある微妙な事柄に関心があるか否かで大きく異なる。
この点に関心を寄せない人に言っても伝わりにくい。
タイトル通りの答えが返ってくることが多く閉口してしまう。

許した事実、返事をした事実があればそれでいいと考えているのかも。
この立場からすると、それ以上に何を求めるのだ!と、成り得る。
そして、訪れる気まずさを伴った平行線。

気にし過ぎ?
そうかもしれない。
いや、むしろ、「かも」ではなく「そう」なのだろう。
相手が気にしない様な事を自分は気にしてしまう。
良いとか悪いとかの問題ではない。

「こう言ってくれたらいいのに…」
そんな淡い期待の様な、自分の気に合う様な返事を求めている。
この一点に考えをシフトしてみる。
何をそんなに相手に期待して勝手に裏切られた感を抱いて悩むのか。
相手を変える事は、実はエゴイスティックな事かも知れない。
相手には相手の考え方がある。
配慮に欠けているなと感じても、その人はそれで生きてきた。

相手側からみて、自分はどうなんだろうと考えてみる。
少しもトゲのある言い方をしていないだろうか。
気持ちよく返事を返しやすい様に発声しただろうか。
自分が嫌な思いをしないで済む相手の反応を引き出す事。
これを気にしてみると、もしかすると少し楽になるかもしれない。

(19:47)

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