2008年11月29日
会話の前段階に知識がある。
知識が思考につながろうとするけれどまだ断片として散らばっている。あるいは、連結器の様な腑に落ちるキーワードを探す段階にいる。
こういう時の会話は非常に有効なのだと再確認した。
さて、今回は会話でスッキリ!がテーマ。
月に一度の外来に行き主治医と話した体験がきっかけになっている。
毎回40分程度話をするのだけれど、その内容が深刻な事はほとんどない。
前回の診察から一月の出来事を報告し、薬の処方変更はないか等の診療的な話は10分程度。
そのことに全く不満を感じない。
後の時間はほとんどお喋りになっている。
そこには、医師と患者の関係はない。(と、感じる空気の中で話している)
互いに「話せる相手」という認識で話が大局的に動く。
科学の話、哲学の話、政治の話、経済の話、医療の話、司法の話、読書の話。
色々な要素が寄り集まって、似た様な部分を見つけてわかりやすく思考を整理する。
「構造的に捉えればとてもわかりやすくなる。これは当然で、物事を考える努力は常にそれを他者に理解される必要を持ってなされてきたわけだから。そこで有効な手段として数値化され、視認性を良くするためにグラフに示されたりする。他の学問や事柄で使われる言葉を拝借して置き換えて考えるのも1つの手段になる」
「統計学的なデータは、本来対象のそれぞれが持っている別のベクトルをそのままに一定の枠を設けてその中での傾向を見るに過ぎない。ところが、この頃のアンケート結果なんてのを見ると、圧倒的にYes or Noに分けるものが多い。これは危険なことだと思う」
「賛成・反対を問うものだとしても、本質的にはその賛成・反対の理由自体こそが重要で結果に至るまでの自由度が奪われてはいけないということで」
「そう。そこを省いていくと議論が生まれてこない。数値として出されたことを以て正当性を主張するとしたら、いくらでも捏造できる。過程が詰まっていればその分を埋めるだけの意見が必要になって、重厚な意義ある物になる。一人の人間が余りに多くの異なる意見を生み出すことはほぼ不可能なのだから」
「そこに確かに多数の人間が関与していることを裏付けるためには、価値観の違いが出ている方が自然だということに。なるほど、価値観を統一すること自体が不自然で、さらにそれに基づいて統計を取っても圧倒的な数値として反映される。言論統制の危険性があると」
「構造の話に戻ると、この頃の経済を見てると病気に似てると感じるわけ。恐慌っていうのは、うつに似てる。スーパーインフレーションてのは統合失調症に似てる」
「あ〜。なんだか今ので凄くスッキリ腑に落ちました。なんだか良くなる見込みなんてないよってネガティブに落ち込んでいくうつと恐慌ですね。あと、言葉が適切かどうかはわからないけれど、狂乱物価…」
「そうそう。ニュアンスとして。もう半端じゃないってことを表してる」
「裁判員制度もそろそろ候補者に通知が届くでしょ?」
(26日外来で28日に全国一斉配送された)
「そうですね。誰が望んだのかわからないままに義務にされちゃってますけど」
「あれはどうなの?集団の中で自分の意見を言って他人の人生決めるわけでしょう?どこまで保護されることになってるの?」
「求められるのは有罪か無罪か。有罪の場合には量刑判断までなので、人生を決めることにまで踏み込んでると思います。保護はどうなんでしょう…。重大犯罪を扱うわけで、どちらの関係者からも被害を受ける可能性はあると思います。それに守秘義務も家庭内とかではどうしたって守られないと思います」
「一生に一度あるかないかの出来事で、他人の人生決めるかも知れないのを一人で抱え込まなきゃならないってのはリスクが大きいし、単純に好奇心ってのもあるね。禁止されれば破りたくなるってのは、鶴の恩返しみてもわかる位のこと」
「まだまだ色々話したいけど、患者さん溜まってきちゃったからそろそろね」
「はい。ありがとうございました」
「話をするのにいろんな本を読んで知識を蓄えて、それを自分で考えてみて吸収する。それを偉いことだとは言えないかも知れないけど必要なことではあると思う。こうやって前提になってる知識の部分を説明しないで話がいろんな方向に膨らんで行って時間経つのが早いって思えるのはお互いに有意義で楽しいね」
「そうですね。今日は特に経済と病気の話でガツンと腑に落ちてスッキリできました。ありがとうございます」
「はい。それじゃまた来月。いろんな本読んで色々考えて。そういうのできる時間がある方が人としていいからね」
こんな会話だった。
他にも話したけれど書ききれない。
当日に書こうかと思ったけれど出来なかった。
考えていたことがスーッとつながった時の充実感、満足感はそれに包まれるだけで満ち足りた気分になれる。
書きとめておかなくても忘れない経験だと感じたし、不思議な事に書かなければ!とは思わなかった。
この体験も少し日が経って振り返れる事柄になったから書けているのかもしれない。
会話はアウトプットとインプットの同時進行で脳が活性化される。一人で悶々と考えていたことがシェイクされて結びついてなるほどに変わる。
話せる人がいる喜び。
話せる人との会話から得たことの充実感。
これらを得たのは会話から。
再確認できたことは非常に有意義なことだったと強く感じている。
知識が思考につながろうとするけれどまだ断片として散らばっている。あるいは、連結器の様な腑に落ちるキーワードを探す段階にいる。
こういう時の会話は非常に有効なのだと再確認した。
さて、今回は会話でスッキリ!がテーマ。
月に一度の外来に行き主治医と話した体験がきっかけになっている。
毎回40分程度話をするのだけれど、その内容が深刻な事はほとんどない。
前回の診察から一月の出来事を報告し、薬の処方変更はないか等の診療的な話は10分程度。
そのことに全く不満を感じない。
後の時間はほとんどお喋りになっている。
そこには、医師と患者の関係はない。(と、感じる空気の中で話している)
互いに「話せる相手」という認識で話が大局的に動く。
科学の話、哲学の話、政治の話、経済の話、医療の話、司法の話、読書の話。
色々な要素が寄り集まって、似た様な部分を見つけてわかりやすく思考を整理する。
「構造的に捉えればとてもわかりやすくなる。これは当然で、物事を考える努力は常にそれを他者に理解される必要を持ってなされてきたわけだから。そこで有効な手段として数値化され、視認性を良くするためにグラフに示されたりする。他の学問や事柄で使われる言葉を拝借して置き換えて考えるのも1つの手段になる」
「統計学的なデータは、本来対象のそれぞれが持っている別のベクトルをそのままに一定の枠を設けてその中での傾向を見るに過ぎない。ところが、この頃のアンケート結果なんてのを見ると、圧倒的にYes or Noに分けるものが多い。これは危険なことだと思う」
「賛成・反対を問うものだとしても、本質的にはその賛成・反対の理由自体こそが重要で結果に至るまでの自由度が奪われてはいけないということで」
「そう。そこを省いていくと議論が生まれてこない。数値として出されたことを以て正当性を主張するとしたら、いくらでも捏造できる。過程が詰まっていればその分を埋めるだけの意見が必要になって、重厚な意義ある物になる。一人の人間が余りに多くの異なる意見を生み出すことはほぼ不可能なのだから」
「そこに確かに多数の人間が関与していることを裏付けるためには、価値観の違いが出ている方が自然だということに。なるほど、価値観を統一すること自体が不自然で、さらにそれに基づいて統計を取っても圧倒的な数値として反映される。言論統制の危険性があると」
「構造の話に戻ると、この頃の経済を見てると病気に似てると感じるわけ。恐慌っていうのは、うつに似てる。スーパーインフレーションてのは統合失調症に似てる」
「あ〜。なんだか今ので凄くスッキリ腑に落ちました。なんだか良くなる見込みなんてないよってネガティブに落ち込んでいくうつと恐慌ですね。あと、言葉が適切かどうかはわからないけれど、狂乱物価…」
「そうそう。ニュアンスとして。もう半端じゃないってことを表してる」
「裁判員制度もそろそろ候補者に通知が届くでしょ?」
(26日外来で28日に全国一斉配送された)
「そうですね。誰が望んだのかわからないままに義務にされちゃってますけど」
「あれはどうなの?集団の中で自分の意見を言って他人の人生決めるわけでしょう?どこまで保護されることになってるの?」
「求められるのは有罪か無罪か。有罪の場合には量刑判断までなので、人生を決めることにまで踏み込んでると思います。保護はどうなんでしょう…。重大犯罪を扱うわけで、どちらの関係者からも被害を受ける可能性はあると思います。それに守秘義務も家庭内とかではどうしたって守られないと思います」
「一生に一度あるかないかの出来事で、他人の人生決めるかも知れないのを一人で抱え込まなきゃならないってのはリスクが大きいし、単純に好奇心ってのもあるね。禁止されれば破りたくなるってのは、鶴の恩返しみてもわかる位のこと」
「まだまだ色々話したいけど、患者さん溜まってきちゃったからそろそろね」
「はい。ありがとうございました」
「話をするのにいろんな本を読んで知識を蓄えて、それを自分で考えてみて吸収する。それを偉いことだとは言えないかも知れないけど必要なことではあると思う。こうやって前提になってる知識の部分を説明しないで話がいろんな方向に膨らんで行って時間経つのが早いって思えるのはお互いに有意義で楽しいね」
「そうですね。今日は特に経済と病気の話でガツンと腑に落ちてスッキリできました。ありがとうございます」
「はい。それじゃまた来月。いろんな本読んで色々考えて。そういうのできる時間がある方が人としていいからね」
こんな会話だった。
他にも話したけれど書ききれない。
当日に書こうかと思ったけれど出来なかった。
考えていたことがスーッとつながった時の充実感、満足感はそれに包まれるだけで満ち足りた気分になれる。
書きとめておかなくても忘れない経験だと感じたし、不思議な事に書かなければ!とは思わなかった。
この体験も少し日が経って振り返れる事柄になったから書けているのかもしれない。
会話はアウトプットとインプットの同時進行で脳が活性化される。一人で悶々と考えていたことがシェイクされて結びついてなるほどに変わる。
話せる人がいる喜び。
話せる人との会話から得たことの充実感。
これらを得たのは会話から。
再確認できたことは非常に有意義なことだったと強く感じている。
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