2008年02月01日

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一両日中、一週間、半月、一月、三カ月、半年、一年、三年、五年…。
カウントアップ式に示される目安としての時間の指標。
これには、それと反比例する様に率が下がる数字も伴って示される事が多い。

病名告知と共に告げられる余命告知。

体調がすぐれないとの連絡を聞いたのは1月中旬頃。
遠く離れた場所にいて、都合がつかず戻れずやきもきしたままに過ごしていた。
そして、5年前の2月1日。
「緊急入院した。手術が必要だが、腸閉塞だからそんなに心配いらない」と、連絡を受けた。

計り知れない衝撃だった。
この連絡をくれたのは、更に2年前、交通事故に巻き込まれ重度障害者となり、車いす生活を余儀なくされた父である。
緊急入院から緊急手術を受けることとなったのは母である。

最初に感じたのは、本当に腸閉塞だけなのだろうか?という疑念。
言葉にならない違和感を覚えた。
それから襲いかかって来たのはまたなのかという想いと、どうしてうちの家族にこんなにも次々と。という、理不尽な不条理さへの何とも言えない想いだった。

やっと都合がつき連絡から数日後に病院へ向かった。
母は想像以上に元気そうに見え、ホッとした。
その時の安堵感も、2度目の安堵感だった。


時系列が複雑になるが父のことも書いておく。

父の事故の時も実家から離れた所にいた。
2001年11年22日のことである。
母の切羽詰まった声で「お父さんが事故にあった。しっかりしてるように見えるけど大変なことになった」と、いう連絡を受け急ぎ実家に戻る経験をしていた。

脊髄損傷による胸下肢不随。
多数の肋骨骨折により肺に血が溜まっているため血を体内から排出。
同時進行で輸血の処置をしていると母から説明を受け、ICUにいる父に母と共に会った。
意識ははっきりしていたが事故の記憶は飛んでいた。
まだ自分がどういう状況なのかを認識していない様子だった。
しかし、生きていてくれたというだけでホッとした。
これが1度目の安堵感。
体験しなくていいのなら、人生において1度も体験したくない安堵感である。

脊髄損傷の処置はその病院では不可能とのことで転院した先もICU。
新たに精密検査をした結果、脊髄の破断をつなぎ止めるために合金を背中に埋め込みボルト締めするという凄まじい手術の説明を医師から受けた。
背中に軽くて丈夫で何百年と経年劣化しないボルトが12本と板が入っている。
手術は無事成功したが、母と共に半日近くかかった大手術の終了を固唾を飲んで待ち続けていた。

父の入院生活に母は献身的に付き添いつつ、交通事故被害者の家族として、警察、検察から事情をきかれ、保険の手続きなども同時に進めなければならなかった。目が回るほどの忙しさのおかげで、事故の事実に悲しみに暮れている暇もないほどだった。
現実感や実感はほとんどなく、淡々としなければならないことをこなすのが日常になっていた。

しかし、父にとっては、自分の身に起こった事実に向き合わなければならないのが日常だった。
仕事人間な父。
鎮痛のための大量のモルヒネにより夢現な状態にある時、気持ちだけは仕事に出かけ指示を出していた。
ところが、実際には車いすでしか生活できない体になってしまった。

現実を徐々に受け入れ(た様に見える頃になって)、リハビリが必要ということでリハビリ施設の充実した病院へ転院しリハビリの毎日。
その間、自宅はバリアフリーに大改造。
車いすの操縦技術の習得や、日常生活をこなすのに必要な筋力を身につけて退院し、自宅へと戻った。

長い休暇で実家に戻っていた時に父が言った一言が大きく心に刺さっている。
「脊損患者の平均寿命って、50ちょっとなんだってな…」


話を戻して母の方である。
病院に母を見舞い、元気そうな顔を見て安堵し父と実家へ戻ったその日、父が声を震わせ言葉に詰まりつつ、涙を流して母の病状を説明してくれた。
「お母さんな。直腸がんなんだって。もうだいぶ進んでて腸が破れちゃったんだって。あと半年もつかどうかわからない。もっと短いかもしれないって先生は言ってた。お母さん死んじゃうのかな?」
投げかけられた疑問に何とも返すことができなかった。
二人で泣いた。

ひとしきり泣いて話せるようになったところで言った言葉がある。
「腸閉塞って言ってたけど、気になってがんのこと調べてきてた。そんな予感はしてたから。それで、IV期が末期だって。それだともう転移の可能性も高いってことだった。でも、腸が破けちゃうなんていうのは書いてなかったから、何期にあたるのかもわからない。先生もどうなるのかわからないって言ってるし…」
後は言葉が続かなかった。


その母が今日を元気に生きている。
もちろん健康体ではない。
いつどうなるのかわからない。
しかし、いつどうなるかわからないというのも、死に直面したり、余命告知を受けて「死」を常に意識するようになった人間と、日々を無事平穏に送り感覚として「死」がまだ近くにない人間との違いに過ぎない。
いずれは誰にでも等しく死は訪れるし、どういう形で日常が転覆するかは誰にも予測できないのだから。

母は今日に至るまでに数回手術を重ねている。
要定期検査の日々を送っている中、PETという検査装置のおかげで早期に転移がんを見つけることも経験した。

余命告知で想定された日をだいぶ過ぎた日に、ふとしたことから余命について父と話した時のことを母に伝えた。
その時に母が言った「入院した時にはもう痛みもなかったし、ボーッとする、ふらふらするってだけだったんだけど、手術の時、今日手術しないと死んじゃうかもしれないんだから!って言った先生がいた」という言葉が忘れられない。

これに応えて言った言葉がある。
「その、死んじゃうかもしれないんだから!って言われた日を乗り越えた時点から、もう医者の予測の上を行ってる。余命半年って言われた日も過ぎてる。大丈夫なんだよ。元気に長生きできるよ。その日がいつなのかわからないのは、皆と同じだよね」

楽観的過ぎるかもしれない。
他人事な言葉かもしれない。
そう思っていた時期もあったが今は違う。
明確にわからないことの方がきっと多いのだ。

がん患者にとって節目となる日を何度も乗り越え、統計上の生存率で最長の五年生存率という大きな節目の日を無事に迎えた母。
平均寿命50余歳という脊髄損傷患者の年齢を超えて健在の父。

これからも互いに助け合いながら穏やかな日々を送れることを切に願いながら、特別な日としての今日を終え、また明日からの生活に戻ろうと思っている。

参考:がんの統計 - がん研究振興財団
参考:脊髄損傷 - Wikipedia

(21:22)

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